
息子達が夢中になっている仮面ライダーやゴーカイジャーを見ていて ふと思ったこと。
「もしも悪役がいなければ、彼らに存在意義はあるのか?」
そう…
タイガーマスクには小林邦昭がいたように。
ピカチュウにはロケット団がいたように。
悟空にセルがいたように。
ケンシロウにはラオウが……えっ!もういい?
ヒーローって悪役がいるから存在するもので
悪役がいなければヒーロー自体の存在価値がなくなる気がします。
もちろん、悪役だってそれぞれの生い立ちがある訳で…
「悪」とされるレッテルを貼られるまでの歴史も知らない子供達は、悪役と戦うヒーローを必死で応援する。
(僕自身も子供の頃、シャアは「悪い奴」と思っていたけど、大人になってからガンダムを観たら、シャアの生い立ちがかなり可愛そうで…)
悪役をやっつけるヒーローに、子供達はワクワク胸を躍らせテレビに釘付けになっている。
そんなヒーローにあこがれ尊敬して、自分もこうなりたいと夢を見ている。
テレビの中では、これでいいのだが、リアルな世界ではどうだろう。
悪役がいるからヒーローが現れるのか、ヒーローの存在のために悪役の虚像を作るのか…
ニワトリとタマゴのように、「どっちが先かわからない」では済まされない重要なこと。
人ってどんなに平和な中でも、大なり小なり「敵」を作り戦っているのかもしれない。
ライバルと言う向上心をあおるためのスポーツ的な発想ならいいのだが…
相手を蹴落とすためや自分の存在価値を上げるための争いが多いんじゃないかな。
ましてや、悪役の虚像を作りあげて、世論を味方につける最悪なケースも多いと思う。
与党や野党、みぎやひだり…
政治的、思想的、宗教的なことは難解なことが多いけど、相手を蹴落とすだけでは終わらないで欲しいものです。
人って、同じ人間に生まれてきたのに、なぜ争うのでしょうね。