
朝、時間がある時は藤森神社に立ち寄ってお参りをします。
何をお願いしているかって?
お願いなんて一切しませんよ。
「感謝」をしに行くのです。
こうやって書くと、すごく信心深い奴に思われるかもしれませんが、実は昔、僕は神様を馬鹿にしてたんですね。
忘れもしません、高校3年生の受験の時…
野球を引退して、大学受験の勉強をしていました。
寂しがりやの僕は、よく賢一と一緒に勉強をしていました。
賢一は、我が野球部のエースです。
巨人軍からスカウトが挨拶に来たくらいすごいピッチャーだったのです。
いろんな事情から、彼は大学受験をすることになり、一緒に勉強していたんですね。
受験の日が近づいた頃、勉強した帰り道に賢一が言いました。
「稲荷大社でお参りしよけ!」
僕は、そんな賢一を馬鹿にしました。
「そんなんしても結果は変わらんわい!!」
マジメにお賽銭を入れて手を合わせる賢一の横で
僕は、お金など入れずにマクドのクーポン券を入れました。
神へのぼうとくですね…
受験の結果は…
おわかりのように、賢一が合格して、僕はすべりました。
もちろん、試験は実力なので
賢一が勉強出来て、僕が出来なかっただけの話。
神様を信じる信じないは別の話として、若いとは言え、神様を馬鹿にしてはいけないと思いました。
それからは、ちゃんとお賽銭を入れて手を合わせます。
でもね、願いごとするのは、ちょっと違う気がするのです。
神様はドラえもんやないし、夢を叶えてくれるもんじゃないと思います。
そして、夢なんてもんは、神頼みなんかで手に入れてもショボイでしょ。
夢に向かう途中に、波乱万丈があるからこそ、手に入れた時に感動が生まれると思います。
だから、僕は「今日と言う一日を生かせてもらえること」に感謝をします。
そのあと、仕事に入れば、不思議と一日が充実するんです。
気持ちの問題なんですけどね。
先日、嫁さんに言われました。
「そんな頻繁にお参りして、なんか良いことあった?」
僕は、こう答えました。
「何もないことが、良いことやねん」
そんなもんだと思いませんか?